信じられない信じられなさを信じられるようにと信じよう

 人が突然まったく別人のような行動を取ったり言葉を発したりしだしたとき、ボクはその人のそれまでの行動や発した言葉を鑑みて、その人の変わり身をして信じられないと思ってしまう。ある程度自覚しているのだけど、それはまったく早急な結論だし、人がそれまでの行動や言葉、つまり過去の行動様式に従わなくてはいけないという理由はどこにもない。むしろボクは過去の行動様式なんてものはリアルタイムに破壊しながら生きてしまえ! というくらいの過激さを賞賛する方だと思うのです。
 それがなぜだろう、とくに親しい人の変わり身にはときどきがっくりさせられます。
 もちろん、ボクにあらわれる影響が良いものでアレ悪いものでアレ、それは親しい人だからこそ影響が出るのであって、たとえ毎日同じ通勤電車の同じ車両に乗るうちになんとなく顔に見覚えがあるようになって来た人が突然イメチェンをはかったりしてもまったく何のショックも受けないし、それに何かを感じるということは(それもそれなりのエネルギーを持ったものを感じるということは)裏を返せばその人の存在がボクにとって大きいということを示していることにもなる。
 ボク自身は過去からあまり変化していないように自分では思うけど、それでもやはりものの考え方や生き方はそれなりに変化しているのだと漠然と感じる。10年前のボクと今のボクを比べて『おまえは変わった。信用できない』と誰かに言われたとしたらいい気はしないだろう。それと同じようなことを(口にこそ出さないにせよ)ボクは人に感じているのだろうか。