出稼ぎならば辻褄はあっている

 仕事をするために東京に出てきたとはいえ、なんだかんだ言って仕事ばかりしている。自分の置かれた状況が出稼ぎ労働者だとすれば辻褄はあっているのだけど、辻褄をあわせるために状況に見合った言葉を見つけるのが正しいことだとは思えない。
 ともかくこんな生活はそう遠くない未来に破綻するだろう。すべてが悪循環に陥っているとまでは言わないしそこまで悲観的でもないけど、一年前の自分なら『これで仕事が楽しければなあ』とか言ってたのかもしれない。今でも仕事が楽しいにこしたことはないとは思うけど、仮に楽しくても仕事は仕事だと強く思うのは一年前と違うところかな。
 結婚もしたのでこれから先の人生のことも真剣に考えて実践していかないといけないし、この出稼ぎ労働が将来のために何かを準備していることになるなら頑張らないといけないとは思う。そうなってるのかどうかはまだわからないけど。
 ともかく仕事を生活の糧を得る手段と位置づけ、生活自体への浸食を早く食い止めなければならないなあ。じゃないと仕事への向き合い方も不誠実なものになってしまう。
 これってけっこう悪循環ですね。