音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ

もっとひどいことだって起こりえたのだ、と思った。そう思うことが正しいかどうかはわからない。それはただこの困難を受け入れるための潤滑剤に過ぎないのかもしれないし、そう思わなければこの困難がさらにひどくなると恐れているだけなのかもしれない。
それでもそう思うことで散り散りになった思いの断片が自分たちの中で落ち着いた位置を取り戻すことが出来るのなら、少なくともそれは機能していると言えると思う。
新しい人生? 一言で言い表せるものではないけど、困難の先にまだ見ぬ世界を見つけようとボクたちはがんばる。
もっとひどいことだって起こりえたのだ。だからこの現実を受け入れ歩みだそう。ボクたちにはこれまでにない苦労や幸せに彩られた新しい世界が待っている。
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ」

正しさとややこしさ

 正しいことを貫くのはめんどくさい。正しいことを貫いている人の行動を見るとややこしい人だと(このボクですら)思わないことはない。なぜか。
 もちろん、世の中の流れが『正しいことを貫く』という原理で動いていないからだ。「それはその通りだけど、いちいちそんなことを言っていたらきりがない」と言う人がいる。言わんとすることは分かる。とてもよく分かる。
 正しいと思うことを一貫して継続的に行い続けるのは難しい世の中だと思う。それでもボクはやはりそうありたいと思うし、そしてたぶんそうすることを支持してくれる理解者はいると楽観的に思っている。そしてボクはそのような行動を取る人の理解者でありたいと思ってもいる。
 こちらから動かなければ何も変わらない。

冬の予感

 今年の冬は久しぶりに寒くなりそうな予感がする。
 冬になると死の匂いがして気が滅入った。未来は暗くてボクには選択肢が何一つなく、他の人に比べて何一つ優れているところがボクにはなくて誰もボクを必要とはしていない。何年も前の自分と比べて何一つ変わっていなくてすべてが同じ事の繰り返しにすぎない。
 かつて冬とはボクにとってそのような季節だった。
 今年の冬は久しぶりに寒くなりそうな予感がする。

分かり合えなさを乗り越えること

 分かり合えなさを乗り越えることは出来ないのだろうか、といつも思う。
 ボクはまず人とは分かり合えないと思っている。だから何かを分かり合えたとしたら幸福だと感じるし、もし分かり合えなかったとしてもそれはもう仕方がないと思うしかない。
 分かり合うと云うことはお互いの気持ちがつながって初めて実現するものだから、だから一方的に『なぜ分かってくれないんだ』と相手を責めることはナンセンス以外の何ものでもなくて、もし相手を責めるなら同時に自分のことも責めないといけない。『なぜ分かってもらえないんだ』と。
 分かり合えなさは乗り越えることが出来るのだ、と確信しつつも『分かり合えな』い状況に遭遇したり目にしたりする度にその確信は崩れていく……でもやっぱりボクは乗り越えられると信じたいし信じている。
 すべてを分かり合うことなんかはじめっから無理な相談だと諦めてしまえ。

もっともたちの悪い人間

 もっともたちの悪い人間とはどのような種類の人間なのだろうと考えてみる。
 いい加減、無責任、自意識過剰、自己顕示、その他何でも付け足してもいいけど、さっき最強にたちの悪い人間を表現する簡単な言葉を見つけた。
 勘違いしている人。これは最強です。なぜ最強かというと、前出のたちの悪い人間を形容する言葉のどれを獲得していたとしても自覚がないので、よもや自分が『いい加減』だとか『無責任』だとか『自己顕示欲が強い』だとかこれっぽっちも思っていなくて、なぜか反対に自分は(まだまだ足りない部分はあるけど)『気が利いて』いて(まだまだ自分1人で出来ることは少ないけど、少なくとも自分の手の届く範囲の事柄については)『責任感』があって、(これが素の自分自身なのだから、嘘はつきたくないとでもいう)『自己肯定』が頭の中にぎっしりと詰まっているからです。
 実際より有能だと見せようとすること、またその自覚があるかないか、ない場合は心から本当に自分がそれだけのものだと思いこんでいるということもある。そんな人は実際には……んー、近くに何人かいるなあ。まいった。

厳しさと優しさ

 厳しさと優しさについて考えている。
 悩みを抱えている人がいて、その理由を聞いたときに『そんなことで悩むのはおかしい』と簡単に思っちゃいけないのは人それぞれに抱えているものが違うのだから他人には計り知れない何かがそこにはあるのだろうし、だからボクには『そんなことで』と思えるようなことでもその人は本気で真剣に悩んでいるのかもしれないということと、でもそれじゃあすべての行動について無条件に肯定されるのかという狭間。
 『そんなことで』と思ったらボクはそう伝えるべきだと思うし、だからといってその人の悩みを尊重しないわけではなく、他人から見たときの『そんなことで』さもふまえた上で悩んで欲しいなと思ったりもする。結局はすべてが自分で解決しないといけないことなのだからどんなことで悩もうが勝手だといえばそうなのだけど、それでもそれが身近な人であれば手を貸したいと思うし、そのときやはりボクは『そんなことで』と言う言葉を一度は口にするだろう。『そんなことで』を最初と最後に口にして、でもその人に出来るだけ近づいて悩みの解消について一緒に考えてみる。
 出来るだけ近づくことと突き放すこと。一緒に考えてみようとすることと、『そんなことで』と口にすること。